自分を満たし、自分が満ちる。~Selfill~

「私」という一人の人間を自分らしく生きることを追求し、"want"を信頼してそれだけを選び続けていったらどうなるの?という実験中の日々の気付きと発見のブログ

「本当の自分」について思うこと。vol.1

 

本当の自分、という言葉は私にとって、

ここ10年以上テーマであり続ける言葉である。

 

そしておそらく日本社会においても、

大きなテーマであるだろう。

 

「ありのままの自分」

 

アナ雪があれだけヒットしたのは、

この言葉が皆の心に刺さったからだろうと

私は感じている。

 

 

 

私は基本的に、

「自分が何者なのか」ということに興味がある。

 

趣味は何?と聞かれて、

たいがいいつも答えに困るのだけれど、

【自己探求】という言葉が届きそうな人には

そう答えたりすることもある。

 

 

「自分が何者なのかを知りたく」て、

色々なことを試してきた。

 

 

いや、違うな。

正確には、

 

「何者かになりたくて」「頑張り続けてきた」

 

ということだ。

 

 

自分という人間を認めてもらうには、

 

成功する必要がある、と思っていたし、

数字で結果を出す必要がある、と思っていた。

 

だから、

起業塾やビジネスなんちゃらという講座にも通ったし、

理論や分析も身に付けなくてはと学んでみたりもした。

 

が、本当に続かなかった。

 

理由はただ一つ。

 

「違う」とわかっていたから。

 

 

わかってるならやらなければいいじゃん!

と思うかもしれないが、

 

そして本当にその通りなのだが、

 

「違う」と「わかっている自分」を

 

それじゃダメだ!と否定して、

頑張って身に付けたり、

結果出す方向に無理やり軌道修正していたから。

 

ゴリゴリに思考だけの力で、

ハンドルを振り切っていたから。

 

そしてそんな茶番を自分自身で繰り広げていることに、

1ミリも気付くことができなかったから。

 

 

そう、気付くことができなかった…

 

 

「枠」の中にいる時は、

そもそもそれが当たり前すぎて、

自分が「枠」の中にいることに気付かない。

 

それが、当たり前。

それが、常識。

それが、普通。

 

それ以外の世界観、そして選択肢に、

気付くことすらできないのだ。

 

 

では、どうしたら気付くことができるのか?

 

 

これはもう、やり切るほかに方法はない気がする。

 

あくまで私の場合だけれど、

やり切って、飽きて、もうこりごりで、どうでもいいっ!

 

ってなった時に、

いわゆる「肚」からわかる瞬間が来るというか、

 

なんだ!そうでなくてもいいんじゃん!

 

という別の世界や選択肢が見えてくる。

 

その時に、その世界や選択肢を選ぶかどうかは、

自分で決めればいい。

 

今まで選んできたものを選び続けてもいいし、

新しいものを選び直してもいい。

 

どっちでもいい。

 

自由な選択肢が、手の中にある。

 

どっちも選ぶことができる。

 

いつでもそうだ。

 

自分で好きな方を、

選びたい方を選ぶことが、できるのだ。

 

 

もし今、

嫌なことがあるのならば、

快適になるために選択し直したらいい。

 

自分の視点を変えてみる、という選択肢もある。

 

 

今目の前にある世界は、

全て自分が選び続けてきたものの集大成なのだ。

 

全て。

例外なく。

 

 

思考は現実化するし、

望むものが引き寄せられる。

 

全て。

例外なく。

 

 

物理の、法則。

 

 

 

本当の自分を知るためには、

まずはこの法則を正しくインストールする必要がある。

 

その上で、健全な自分への責任を引き受けること。

 

 

自分を幸せにすることができるのは、自分自身なのだ。

 

と。

 

 

そして、

 

「本当の自分が望む」

「自分の幸せ」

 

が、どういうものなのかを知るためには、

今の自分のアンテナがキャッチしている興味関心に、

徹底的にアプローチしていく。

 

 

簡単に言えば、「やってみる」ことだ。

やってみて、納得するまで「やりきってみる」。

 

 

途中で、外野の誰かに何かを言われると、

咄嗟にそれを止めようとしてしまうことがあるかもしれない。

 

思考が止めようとするのだ。

 

未知は、不安だから。

 

不安は、怖いから。

 

怖くならないように守ってくれているのだけれど、

それを超えない限り、本当の安心には辿り着かない。

 

 

なぜならその怖さは、

深く深く刷り込まれた、

自分以外の世界からの刷り込みだからだ。

 

自分の内側から溢れ出す欲(want)ではないからだ。

 

 

続く。