自分を満たし、自分が満ちる。~Selfill~

「私」という一人の人間を自分らしく生きることを追求し、"want"を信頼してそれだけを選び続けていったらどうなるの?という実験中の日々の気付きと発見のブログ

"超"本質思考 ~その根底にあるものが知りたい~

 

昨日、退院してきました。

 

退院。

そう、退院するからには入院していたのです(笑)

 

3泊4日の入院でしたが、その間に手術もあり、

私の人生の中では初めての経験。

 

 

5月末にハワイ島へ行っていたのですが、

海岸に行った際、パワフルな波に足元をすくわれ、

ウニの棘が足裏にガッツリ刺さってしまったのです。

 

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現地で応急処置はしたものの、そのまま帰国。

 

翌日に皮膚科を受診するも、

 

「ま、皮膚のターンオーバーと共に取れるよ。」

 

と、3分の診断で終了。

 

本当かな?と頭のどこかで感じつつも、

日々痛みや違和感は薄れていくし、

だましだまし過ごしていたのですが…

 

 

先月、棘が刺さったあたりがひどく腫れ、

靴も履けない状態に。

 

今度は整形外科を受診し、レントゲンを撮ったところ、

やはり棘らしき影が見つかりました。

 

 

「棘らしきものは見えるけれど、

 この腫れの原因がこれとは断定できないから、

 しばらく投薬で様子見てみましょう。」

 

と、お薬を処方されました。

 

 

その時私は思ったんですね。

 

こんなにはっきりと棘らしき影が映っているのに、

これでもこれが原因だと断定できないって、

それはどういうことなんだろう???

 

放っておいて勝手に消えるものでもないのに、

薬で痛みをごまかして様子を見ることに、

どんなメリットがあるんだろう???

 

 

私はとにかく、「ある」のに「ない」ことにして

ごまかし続けるということがとても気持ち悪かったんです。

 

 

そこで、手術室の看護師である妹に相談。

後日彼女の病院で受診したのでした。

 

様々な角度から検証しても、原因はこの棘らしき影。

長い目で見た時に、薬でごまかしても炎症を繰り返し、

最悪の場合は壊死してしまう可能性も…

 

というところで、もう手術で取り除きましょう、と。

そこからはもう、とんとん拍子で。

 

 

全身麻酔化の手術は初めてだったけれど、

すべて順調に、そしてたくさんの愛を感じながらの

時間になりました。

 

 

思い返してみると、私はいつもそう。

理屈っぽいんです。

 

原因をはっきりさせたい。

理由を具体的に知りたい。

 

上辺のそれではなく、本当のそれを、知りたい。

 

そして、やるのなら、

ごっそりと根っこから

変えたいし、

変わりたい。

 

だから、本当の原因や理由を知りたい。

 

"超"本質思考。

 

 

行動も、それが分かってからです。

どうすればいいのか判断するのも、それからです。

 

でも、その流れが自分の中でピタッとくれば、

瞬間的に動きます。瞬発力(笑)

 

* 

 

会社員だった頃。

お客様から上がってきた声を商品に反映させたくて、

上司に直接提案をしたことがあるのだけれど、

 

「決まりなんだから仕方がない」

 

という一言で一蹴されたことがありました。

 

 

今思えば私のプレゼンが未熟過ぎたのだけれど(笑)、

その時は、 

 

決まりって何だよ!

意味わかんないよ!

誰のための、何を目的とした決まりだよ!

 

と怒りが湧いてきて、

モヤモヤとした思いいっぱいになった記憶があります。

 

 

きっと上司は、

私が常々理屈っぽいのを知っていたから(笑)、

 

私の面白くなさすぎるプレゼンを聞いて、

いちいち指導指摘するのも面倒くさいし、

 

「決まりなんだから仕方がない」

 

ということにしておけばおとなしくなるだろう、

と思ったのかもしれない。

 

あきらめてくれるかも、と思っていたのかもしれないね。

 

今となっては確認のしようもないのだけれど …

 

 

でももし、あの時、本当のことを言ってくれていたら。

 

 

「しらとりのプレゼン面白くないよ。

 もっと魅力ある話してよ。」

 

って、言ってくれていたら。

 

納得できていたのかもしれないなぁ。

 

 

「決まりなんだから仕方がない」

 

そのセリフが上辺のものだと、

そう瞬間的に私はキャッチしたから、

モヤモヤする気持ちでいっぱいになったんだ。

 

 

本当は、

「しらとりのプレゼン面白くない。」という

その事実が「ある」のに、

 

しらとりを傷つけないように、

その事実は「ない」ことにして、

思いやりを持って上司は言ってくれたのだろう。

 

「決まりなんだから仕方がない」

 

と。

たぶん。

 

 

でも、それは、

「ある」ことから目を背けて、

「ない」ことにしているだけで、

実際には「ある」んだ。

 

上辺だけで「ない」ことにしていて、

根底には脈々と「ある」が続く。

 

 

だから、何も変わらない。

 

だから、私も変わらなかった。

 

面白くないプレゼンや、

奮い立たない熱意。

 

どんどん、どんどん、しおれていってしまったな。

 

 

いや、これは上司に対していっているのではなく、

私自身がどう捉えるか、の視点。

 

 

「ある」のに「ない」ことにしている。

 

 

そう。

 

本当は、他にもっとやりたいことが「ある」。

 

本当は、もっと惹かれる働き方が「ある」。

 

本当は、もっと自分にとって重要なことが「ある」。

 

 

 

「ある」のに、「ない」ことにしていたのは、

この私自身。

 

どうしてそうしたかったのかって? 

 

 

「ある」ことに気付いてしまったら、

どうなってしまうのかわからなくて不安だったから。

 

「ある」ことを認めてしまったら、

生計を立てて生きていくことができなくなりそうで怖かったから。

 

 

だから、

「ある」から目を逸らし続けて、

「ない」ことにしていたんだよね。

 

「ない」と思い込もうとしていたんだよね。

 

今、手の中にある、安全安心地帯に守られていたかったから。

 

その外側に出てしまうのは危険な気がしていたから。

 

 

でも、脈々と根底には「ある」が流れ続けていて、

ある瞬間にそこから目を逸らせなくなったんだ。

 

そして、今の私が、いる。

 

 

「ある」ことを認めると、変わることができる。

 

「ある」ことを認めないと、変わることができない。

 

 

上辺だけを変えて変わったようなふりをしていても、

その根底に流れているものに目を向けなかったら、

いつか土台が流されて崩れてしまうんだよね。

 

そして、崩れないように踏ん張り続けることもまた、

相当なエネルギーを要するものなんだよね。

 

 

そのエネルギーを、

自分の熱意を注げる方向に流していったらいい。

 

 

そのためにはやっぱり、

「ある」ことを「ない」ことにしてしていることに気付いて、

「ある」ことを認めていくこと。

 

このプロセスが、大切なんだよね。

 

 

ここ最近、

理屈っぽくて、

いつもいつも理由や根拠を知りたがる、

この私の性質、

 

"超"本質思考

 

という性質が、

私自身を生きるために最高に大事で、

最高に力として生かせるものなんだと、

気付くことができ始めています。

 

最高の、ギフト。 

 

やっとね。(笑)

 

 

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