「ちゃんと」という思い込みからの変換
さてさて。
ブログ書こう、書こう、って思いながら
ずいぶんと先延ばしにしてるよね。
わたしね w
その理由って自分ではわかってて。
「ちゃんと」書かなくちゃ。
って、そう思い込んでいるのよ。
「ちゃんと」わかりやすく
「ちゃんと」ありのままを
「ちゃんと」伝えなくちゃ
ってね。
「ちゃんと」って、いったい何だろう?
何ができていれば、
「ちゃんと」って言えるんだろう?
そもそも、「ちゃんと」ってどんな意味なんだろう?
調べてみましたら、丁寧に解説されているページを見つけました。
こちら。
http://www.akatsukinishisu.net/kanji/kichin.html
以下、そのページからの引用です。
『日本国語大辞典』(小学館)によりますと、「ちゃんと」の語源は「丁度」と同じものであると考えられ、またその原型は「丁と」に関係があったようです。つまり、
ちゃんと ・ ちょうど ← ちょうと
となります。
「丁と」には、「物が激しくぶつかり合う音を表す語」「激しくにらみつけるさま」「力強くかみ合ったり、しまったりするさま」「整然としているさま」という語義があるようで、つまり「ガチャン!と音を立ててぶつかり合う」「がっちりとかみ合っている」というイメージが、「ぴったり合わさっている」「きっちりとしている」へと発展したものと思われます。
つまり、以上のようなことから考えますに、「ちゃんと」の「ちゃん」は、「ガチャン!」の「ちゃん」と、そのもともとは同じだったのではないか、と思われるわけです。
そうなのかー。
「ちゃんと」という発音からはあまり想像できない、
情熱とか、激しさが源にある言葉。
そういう意味では、
自分の内なる情熱と、発せられている言葉が
「ぴったり合わさっている」こと。
つまり、
自分の内側にある想いやありさまと、
外側に出ている言葉や在り方が、
「ぴったり合わさっている」
ということが、
「ちゃんと」しているという意味なのかもしれない。
そうだと解釈すると、とても心地がいいし、
私はそういう生き方がしたい。
私は、ありのままの私で在り、生きたい。
だとすれば、
「ちゃんと」在ろうとすることは、いい感じがするな w
私は、私自身に、「ちゃんと」在ろう。
だからそのありのままの様を、
言葉でそのまま綴っていくことにしよう。
如何なる時も。
どんな状況である時も。
そのままのありさまの自分を、
真っ直ぐに綴っていくことにチャレンジしたいし、
そこを超えていきたい。
そして自分はつくづく、どこまでもMだと思うのだー。