自分を満たし、自分が満ちる。~Selfill~

「私」という一人の人間を自分らしく生きることを追求し、"want"を信頼してそれだけを選び続けていったらどうなるの?という実験中の日々の気付きと発見のブログ

忘れていたこと。そして重要なこと。

 

忘れ去っていたことがあった。

 

遠く

遠く

果てし無く遠いところに

置き忘れてきたような。

 

そんな感覚。

 

思い出せそうで、

まだはっきりとは見えない。

見えてはいない。

 

けれど確かに、

身体は知っている。

 

その、確信。

 

 

「楽しむ」ということ。

 

「愉しむ」ということ。

 

それを私は、すっかり忘れていた。

 

 

私は笑ってきたし、

私は楽しんできた。

 

つもりだった。

 

でも、

今朝、

その、

今までそうだと思っていたことが、

 

とても限定的な枠の中でだけの、

誰かや何かに決められたり、

与えられた条件の下での、

 

「楽しさ」だったような、

そんな感覚を身体で感じた。

 

 

絶望感というのだろうか。

 

悲しい、とか、

虚しい、とか、

悔しい、とか。

 

無力な自分。

 

何もわかってない自分。

 

今まで私は、

何をやっていたんだろうという、

虚無感。

 

それが今の私には、

紛れもなくあって、

とても心がざわざわとしている。

 

 

この、ざわざわとした状況が

あまりにも心地悪くて、

他のことを気を逸らそうとする、

そんな自分に気付く。

 

 

そうか。

 

そうだったのか。

 

今まで、私は、

心地よいものだけを選んで、

それ以外のことを排除しようとしてきたんだ。

 

限定的な枠の中でだけ、生きようと。

 

そうしてきたんだ。

 

それはきっと、

 

世間体とか、

常識とか、

一般論とか、

マナーとか、

評価とか。

 

他の人から見て、どう見えるのか。

 

そればかりを選んで、

そればかりを基準にしてきたんだ。

 

 

カッコ悪い、

ダサい、

醜い、

痛々しい。

 

そんな自分はいないことにしたくて、

排除して、排除して、

切り捨て続けてきたのが、

今の私なんだ。

 

 

本当の楽しみなんて、わかるはずない。

 

他の人から見て、

楽しそうを選んできたのだから。

 

 

本当の楽しみなんて、知るはずもない。

 

枠の外に出ることを、

当の自分が許可していないのだから。

 

 

ああ。

 

 

今の自分にできることは、

この、いたたまれない、

如何ともしがたい心地悪さを、

 

しっかり抱えて逸らさないこと。

 

見つめてあげること。

 

認めてあげること。

 

 

それから逃げ続ける限り、

同じことが繰り返される。

 

今まで、そうだったように。

 

 

今までを脱したいのなら、

直視して、

小脇に抱えて共に居ることだ。

 

それなしに、

私の人生に喜びは、ない。