自分を満たし、自分が満ちる。~Selfill~

「私」という一人の人間を自分らしく生きることを追求し、"want"を信頼してそれだけを選び続けていったらどうなるの?という実験中の日々の気付きと発見のブログ

本物の自己肯定感の根っこにあるもの。

 

自己肯定感、という言葉。

 

よく耳にするし、

それっぽく(どれっぽく?)使われているけれど、

どうもちょっとズレているような気がして。

どうもちょっとしっくりこない感じがするんだよね。

 

自己肯定感を「高めるために」

自己肯定感を「上げるために」

 

って表現が、

なんといいますか、

本当に大切なことから目を背けているような、

背けさせているような、そんな感じ。

 

 

私が感じる自己肯定感って、

【どんな状態であっても私は大丈夫】という

自分に対する絶対の信頼感があるという状態のこと。

 

だから、

 

自信を失っている自分「でも大丈夫」だし、

 

上手くいっていない自分「でも大丈夫」だし、

 

やる気がなくて何もしない自分「でも大丈夫」だし、

 

目標が見いだせない自分「でも大丈夫」だし、

 

やろうと思ってもできない自分「でも大丈夫」だし、

 

また同じことやらかしちゃった自分「でも大丈夫」。

 

 

明けない夜はないから大丈夫。

 

 

大丈夫、だから、

わざわざ「高める」必要もないし、

わざわざ「上げる」必要もない。

 

高くない自分「でも大丈夫」だし、

上がらない自分「でも大丈夫」だから。

 

 

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【どんな状態であっても私は大丈夫】

 

だから、

 

今のこの悲しさや、

今のこの寂しさや、

今のこの悔しさや、

今のこのやるせなさや、

今のこの虚しさや、

今のこの情けなさや、

今のこの苦しさを、

 

存分に味わい尽くしたいと、私は思う。

 

どん底まで落ちて味わったそれは、

味わった人にしか感じられない繊細さになるし、

味わいという自分の魅力になる。

 

 

マイナスとプラス

陰と陽

裏と表

弱さと強さ

 

 

どちらかに大きく振り切ったなら、

同じ力で反対側にも、

大きく振り切っていくことができる。

 

 

だから、どうか信頼して。

自分を信頼して。

 

振り切れるところまで振り切っていく。

 

それは必ず自分の力となり、

自分への信頼となる。

 

高めようとしなくても、

上げようとしなくても、

 

そんな上辺でコントロールしなくても。

 

 

根っこから大きな力で、

自分を信頼する力が湧いてくるんだ。

 

 

それが、本物の自己を受け入れる力。

 

それが、本物の自己を肯定する力だと、

私は感じるんだよね。