自分を満たし、自分が満ちる。~Selfill~

「私」という一人の人間を自分らしく生きることを追求し、"want"を信頼してそれだけを選び続けていったらどうなるの?という実験中の日々の気付きと発見のブログ

自分に正直に在る、ということ。~台風の通過と共に~

今週、大きな被害をもたらした台風。

 

その台風のように、

私の中でも大きな嵐が吹き荒れた。

 

台風の卵が赤道付近で誕生し、

大きな勢力になるまで成長し、

そして終息していくプロセスのように、

 

その嵐も小さな予兆から、

少しずつ揺らぎを大きく拡大しながら、

ついに上陸する瞬間を迎え、

 

上陸したその瞬間、

そして、

その渦中に在る時の心の揺らぎは、

 

まさに

私の人生観測史上最大級の勢力で、

真正面からやってきた。

 

そして私も、

その最大級の勢力の嵐を、

裸のまま、真正面から受け止め、

吹き荒れるその感情の嵐を、

ただただ、感じるままに、感じ続けた。

 

嵐の卵が発生してから、

その勢力を大きくしていくプロセス、

そしてその渦中にいた時間と、

過ぎ去った後の余韻。

 

全ての過程の中で、

私はどれほどの涙を流したのだろう。

 

もし実際に計測することが可能なのであれば、

もしかしてそれほど驚くような量ではないかもしれない。

 

でも、その量の涙は、

私の頭のてっぺんから足のつま先まで、

余すところがないほど深い所から、

徹底的に様々なものを炙り出し、

そして、徹底的に浄化してくれた。

 

 

***

 

自分らしく生きる。

自分らしさを活かす。

自分に正直に在る。

自分を生きる。

自分を満たす。

 

 

それらを切望する人は多いだろう。

私もその一人だ。

 

もし、それができたらどんなにか幸せだろうか。

もし、そうなったらどんなにか楽だろうか。

 

そう、私も思っていた。

 

でも、

それらは全て、

如何なる瞬間も、

「今ここ」にある。

 

そう言ったら、笑うだろうか?

そう言ったら、信じられるだろうか?

 

私は「知っていた」けれど、

私は「わかっていなかった」のだと、

今回の嵐の直撃を受けて痛感した。

 

おそらくその時に感じていた、

【痛み】の根底に、

必ず【愛】があることを強烈に感じたからだ。

 

優しくされたり、

丁寧に扱われたり、

尊重されたりする愛は、

わかりやすくて、受け取りやすい。

 

一方、

批判された(と感じた)り、

否定された(と感じた)り、

抑圧された(と感じた)りする愛は、

それが愛だとわかりにくいし、

何より苦しくて、しんどいから、

受け取ることができないし、

むしろ避けて、逃げ出したくなる。

 

 

そう。

私は逃げ続けてきたのだ。

 

それが今回、「わかった」のだった。

 

 

自分の中で明確なテーマがあるのだけれど

(今の私の場合は「お金」がテーマ)

 

優しくて受け取りやすい愛だけ受け取って、

(受け取りたくて)

 

それ以外のことから、逃げ続けてきた。

 

言葉を変えていえば、目を背けてきたのだ。

 

 

今の自分の現実を直視することほど、

実はしんどいことはないのかもしれない。

 

自分の無力さを、

これでもかというほど心の深くまで

思い知らされることになるから。

 

そんなはずはない!

私は無力なはずがない!

 

そう、思いたいからこそ、

そこに目を向けたくないから。

 

でも、実際に、

最大級の勢力で地の底まで落とされた時、

 

自分が無力であることに降伏すると同時に、

そして、これほどまで愛に満ち溢れている世界に、

「今ここ」に生きているのだということを、

しみじみと味わい尽くすことができた。

 

すると不思議なもので、

今の自分にできることが考えられるようになる。

 

無力な私でもできること。

 

それが、等身大で考えられるようになるのだ。

 

 

背伸びをした目標に必死に向かう時のような、

焦燥感のようなエネルギーではなく、

 

しっかりと地に足を付けて、

淡々とできることを積み重ねていこうという、

自分を信頼して歩みを進めていくような、

穏やかなエネルギー。

 

これが、現実を動かしていくのだと、

今の私はそう感じている。