自分を満たし、自分が満ちる。~Selfill~

「私」という一人の人間を自分らしく生きることを追求し、"want"を信頼してそれだけを選び続けていったらどうなるの?という実験中の日々の気付きと発見のブログ

ブレない軸は、揺らぎの先に見えてくる

 

「私、すっごいブレブレだわ~。」

 

みたいな表現。

 

ま、そんな日常会話の中では多くはないかもしれないけれど、

でもきっと、一度は言ったことがあるであろう、その表現。

 

 

ブッレブレ。

軸がブレる。

もうしない、と決めたのにやってしまう。

やると決めたのに、やらずにダラダラ今に至る。

自分の中に一貫性がない。

 

日常ではそんなニュアンスで使うことが多いように思う。

 

 

だからこそ逆の表現、

「軸がある」とか「軸がブレない」って、

 

言っていることややっていることに筋が通っている、

しっかりと意思を持っている、そんな感じ。

 

 

 軸がブレない人って、

その軸がどのような世界観であっても、

その人の存在感そのものを表しているように思う。

 

そしてその存在感がその人の個性となり、

信頼感を増幅させていくのかもしれない。

 

 

いつもその人で在ること。

いつもその人の中にブレない軸があること。

 

 

それは信頼につながっている。

 (今書きながらそう思った)

 

 

 ***

 

 近頃、

ブレない軸を持っている、とか、

しっかり軸があるよね、とか、

そんな言葉をいただくことが増えました、私。

 

 

うん、確かに。

以前に比べると私自身の感覚としても、

自分らしさというものの輪郭が

くっきりとしてきたように思う。

 

 

すごいよね、

自分の中で感じていることが、

ちゃんと自分以外の他の人にも伝わってる。

そう見えている。

 

そういう時代なのだよ~。

 

 

でも私はホント、

自分に軸なんて存在するのかどうか?

なにがそれなのか?すら、わからなかった人。

 

なぜなら、「揺らぐ」から。

 

日々日々、「揺らぐ」から。

 

 

昨日決めたことも、

今日になったら変わっているし、

 

さっき感じていたことも、

今は違うように感じ取れるし、

 

揺らぎ、

うつろい、

移り変わる。

 

 

それは、今でも、そう。

 

 

揺らぎ、

うつろい、

移り変わる。

 

 

そして、

それでいいのだと、

そういうものなのだと、

 

心と身体で味わい尽くして

「わかった」時に、

 

それが自分らしさの輪郭を際立たせ、

軸のある人と伝わるようになってきたのだ。

 

 

軸とは、ゆるぎない一本の柱のような、

そんなイメージがないだろうか?

 

常に、揺るがない、

常に、動じない、

常に、ブレないということ。

 

 

でもそれを自分の中に探そうとすると、

見つからない。

 

確固たる、

いつも確固として変わらないものが、

自分の中にないように感じられるから。

 

 

だから自分を、軸のない人、とし、

どことなく自分を否定してしまうような、

そんな空気感をまとって、一歩引く。

 

最先端から、一歩身を引いてしまうのだ。

 

 

けれど、そもそも、

1秒たりとも全く変わらないことなど、ありはしない。

 

時間が刻々と進んでいくように、

風が何かを揺るがせるように、

雲が流れていくように、

 

いつも揺らぎ、動いている。

 

その動きが、目に見えていなくとも。

 

揺らぎ、動くことが、当たり前だとしたら、

 

自分の中が揺らぎ、動くことも、当たり前となる。

 

そうであって当然。

そうであって良い。

 

その定義を受け入れた時に、

 

揺らぎ、動き続ける自分の中に、

それでも変わらぬ何かが際立ってくるのではないだろうか。

 

私は、そう感じている。

 

 

 【今】の私はこう感じている。

 

この、【今】感じていることを

心と身体で味わい、表現すること。

 

これが、自分の軸を育んでいくプロセス。

際立っていくときに避けて通れないプロセス。

 

 

そのためには、思考を静かにして、

体感に意識を向けていく、

静かな時間を持ち続けることが、とても大切だよね。

 

 

モノの時代から、コトの時代へ。

 

所有の時代から、経験の時代へ。

 

それは、

忍耐の時代から、解放の時代への移り変わり。

 

 

明らかに世の価値観が大きく変化したこの時代に、

大事なのは自分の体感。

 

思考ではなく、体感。

 

 

これが絶対だ!とする基準から、

人それぞれいろいろあってそれがいいとする基準へ。

 

一律性から多様性へ。

 

 

自分の中にそれを見出していけるかどうか、

それをキャッチできる感性を掘り起こせるかどうか、

アンテナの感度をどれだけ高められるかどうか。

 

 

どんどん自由度が高くなっているからこそ、

ある意味、難しさも感じることがあるかもしれない。

 

全てが自己責任で、

全ての答えが自分の中にあるから。

 

 

だからこそ、

揺らぎ、うつろう自分を認め、受け入れながら、

それでも不変の土台となる部分を整えていけると、

 

軽やかに

楽しみながら

自分を生きることができるようになる。

 

まだまだ道の途中の私ではあるけれど、

そんな確信を見出している、今日この頃。

 

 

ブレない軸を探すことに時間を使うより、

今自分が感じていることをそのまま感じていく。

 

 

揺らぎ、うつろうその感覚を感じ、

その揺らぎに身を委ねる。

 

どんなに大きな揺らぎであっても、

間違いなく私は今ここにいる。

 

 

それは、自分への信頼を高めることでもあるように思う。

 

だとすると、

いわゆる自己肯定感ってやつも、

自動的に高まるから、

 

多様性のこれからの時代を、未来を、

もっともっと自分らしく楽しめる。

 

 

その流れを生み出していけるね。