自分を満たし、自分が満ちる。~Selfill~

「私」という一人の人間を自分らしく生きることを追求し、"want"を信頼してそれだけを選び続けていったらどうなるの?という実験中の日々の気付きと発見のブログ

Don’t think ,Feel 考えるな、感じろ。

 

Don’t think ,Feel(考えるな、感じろ)

byブルース・リー

 

 

このフレーズ、

ことあるごとに耳にしてきた。

 

 

考えないで、感じればいい。

 

感じていることを信じればいい。

 

「考えるな、感じろ」

 

 

でも私は本当につい最近まで、

この意味が分からなかった。

 

感じる、って何だろう?って「考え」始める。

 

何を感じているの?と問われると、

瞬時に頭で「考え」始めるのだ。

 

「私は何を感じているのだろうか?」と。

 

 

私はそのくらい思考に支配されてきたんだ、

と最近気付いた。

 

頭で考えること

思考すること

 

それを通じて

「正解」を導き出すことが大事だと信じて、

長い間そうしてきたからか?

 

「感じる」という言葉を”音”で聞いて、

何を感じているのかを「思考」し始める。

 

私は、そういう人間だった。

 

 

でも同時に私は、共感性や感受性が高い。

非常に。

 

だから、思考すると同時に、

目の前にいる人や場において

「本質的に必要なこと」がわかるため、

 

思考で導き出した「回答」と、

その場で必要であろうその「本質」に

ギャップが大きく生じることが多くて、

その差に苦しんできた。

 

 

要は、

 

世間的に「正解」だといわれる答えと、

私が「本当に必要だ」と思うことがあまりにも違っていて、

 

「私はこう思う。」

 

と言葉にすることが怖かったのだ。

 

 

笑われそうだったし、

一蹴されそうだったし、

バカにされそうだったし。

 

役に立たなくてはいけない、と思っていて、

役に立つにはどうしたらいいか、と考えていたのは、

 

そうでないと私の存在自体に価値がなくなってしまう

と頑なに信じていたからだ、と思う。

 

 

だから、

世間的に、一般的に、常識的に、

これなら反対されないよね、という

情報や知識やスキルをガチガチに詰め込んで、

 

「これが正解」と信じようとしていた。

 

心の中では、ザワザワザワザワ…しながら。

 

 

今思うと、

これがまさに「考えている」ことそのもの。

だよね。

 

頭だけで導き出そうとしている状態、

「皆に納得してもらえる正解」を。

 

 

だけどそれは、やっぱり正解じゃない。

私はそう思う。

 

 

だってそもそも、皆って誰?というのもあるし、

 

なにより、他の誰より、

私自身が「納得していない」んだもん。

 

 

納得しないで、

違和感満載で、

心がザワザワザワザワしている状態って、

本当に居心地が悪い。

 

居場所がないんだよね。

 

自分に嘘ついているから。

 

 

自分に嘘をついているから、

自分の中に居場所が見いだせない。

 

裏切っているから。

 

 

それを、無かったことにして、

考えて出した答えを「正解」とし続ける。

 

もう、自己否定の嵐ね。

 

 

私、このスパイラルを何万回と繰り返して、

もういい加減嫌だと思って、

もういい加減脱出したいと心から思った。

 

それで、

様々な自己探求をしてみてきたけれど、

その結果やっぱり、

 

「考えるな、感じろ」

 

だった、答えは (笑)

 

 

 ただね、この「感じろ」の

【感じ方】を教えてくれる人がいなかった。

 

ほとんどの場合、

「感じる」を言葉を通じた”情報”として、

そのノウハウを提供していたから。

 

 

いや、きっと、

それでわかる人にはわかるのだろう。

 

でも残念ながら、私は分からなかった。

 

 

その言葉を通じて情報として提供された、

そのノウハウやスキルを、

 

「どうしたら上手く実践できるのか」と、

 

また「思考」し始めるからだ。

 

 

かなり重症であったと思う、私。

 

 

しかし私は出会ったのだ。

 

その【感じ方】そのものを

教えてくれる場所に。

 

そして、その【感じ方】は

あっけないくらい簡単にわかったしまった。

 

あぁ、これが【感じる】ということなんだ、と。

 

 

それは、

ノウハウでもなく、

スキルでもなく、

 

ただ、

自分の中にすでにあったものに

「気付く」ということだったように思う。

 

気付く、でもいいし、

 

思い出す、でもいいかもしれない。

 

 

そしてその【感じる】ことを通じて、

私の人生はどんどん彩りを取り戻し、

モノクロからカラーに変化し、

 

どんどん楽しく、

どんどん心地よく、

どんどん豊かに、幸せに、

 

そういう時間を積み重ねていけるようになった。

 

 

その場所は、AFP(Art of Feminine Presence)。

 

 

これについては追々書いていきたいと思っているが、

もう私の人生これなしには語れないほどに、

私が私自身を取り戻すために大切な場になっている。

 

 

おそらく私はこれから、

このAFPを伝える立場となり、

場を提供していくことになるだろう。

 

なぜなら、それが私の強い望みだからだ。

 

それを今強く、心の底から感じているし、

願っているからだ。

 

 

だからここで一つ宣言させてほしい。

 

私はこのAFPを伝える立場として、

ひとりひとりが自身の可能性を信頼し、

本物の自己肯定感を育み、

自分自身を豊かに生きたいと願う人と

繋がっていきたい。

 

そのために、私自身がサービスを提供し、

豊かな循環を生み出す源になっていく。

 

そう、宣言します。

 

 

自分を生きるということがこれほどまでに

豊かで心地よいものなのだと。

 

考えるのではなく感じるということが、

これほど大きな安心感をもたらしてくれるものなのだと。

 

そう、わかったから。

 

それを多くの人とシェアしていきたい。

 

それが今の私の真っ直ぐな思いです。

 

 

 

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